田井 智之さん

◆移住元

 東京都大田区

◆移住した年

 2020年4月〜

◆略歴

1973年3月 東京都板橋区生まれ
1992年5月 サーフィンを始める
1997年11月 勝浦で初めてサーフィンをする
2010年4月 勝浦と東京で2拠点居住開始
2020年4月 勝浦へ完全移住
2021年5月 塩作りを始めようと決意
2021月11月 勝浦塩制作研究所を開業


 本日はよろしくお願いします。まず初めに自己紹介をお願いします。

 田井さん

田井 智之(たい ともゆき)と申します。出身は東京都板橋区で、3年前の令和2年に東京から勝浦へ移住してきました。

 

移住したきっかけを教えてください。

  田井さん

元々、サーフィンが好きで30年以上いろんな場所を巡っていて、26年前に勝浦にたどり着きました。そのときに勝浦の魅力をものすごく感じたんです。海が綺麗だったり、波が良かったり、人が良かったり、食事が美味しかったり。 それ以降、毎週のようにサーフィンで勝浦に通うようになり、そのうちに「もうここにずっといたいな」と考えるようになりました。

 

今から3年前(2020年)、インバウンドに特化したハイヤーの会社に勤めていたんですが、コロナ禍で外国人が来なくなってしまったので、その会社が身売りをしてしまってちょっと縁がなくなってしまったんですね。ちょうどその10年くらい前から勝浦の部原にサーフィン用のアパートを借りていたんですが、東京にいても仕事がなかったので「じゃあもうそのアパートに移住しちゃえ」と思って勝浦に移住しました。

 

元々は2拠点居住をしていて、週末を勝浦で過ごすという形だったんですね。

  田井さん

そうですね、休みの時に週末に勝浦へ泊まりで来て、サーフィンをして帰るみたいな感じでしたね。

Episode❶ サーフィン
 
サーフィンをきっかけに辿り着いた勝浦

 

− 26年前に勝浦に辿り着いた時の経緯を教えてください。

  田井さん

サーファーと呼ばれる人たちって生まれ育った場所がホームの人もいるんですが、僕みたいに東京で生まれてサーフィンをする場所がなかった人たちは割といろんなところを放浪するんですよ。サーフポイントって日本中にいっぱいあるので、自分の車で色々と巡って。 まず、最初に行ったのは千葉の九十九里の1番上側にある片貝というところだったんですけど、そこから徐々に南下していきました。一宮、太東、御宿という感じで。その流れで勝浦に入った瞬間、「なんだここ。めっちゃ海水綺麗だな。」と惹かれて、勝浦が1番いいなと思ったんですよね。  

 

− では、偶然勝浦に巡り合ったんですね。  

  田井さん

そうなんです。サーフィンを始めて5年目でやっとここにたどり着きました。

 

− 勝浦でお気に入りのサーフポイントはありますか? 

  田井さん

僕は部原というポイントが1番好きです。大体のポイントは九十九里のように海底が砂になっている『ビーチブレイク』という、地形が変わることで波が一定ではないビーチが多いんです。ところが、勝浦は岩場の海底が砂場の海底とミックスされている『リーフブレイク』というポイントなんですよね。なので、波の形としてはうねり(風による発達がなくなった後に残される波)さえ決まってしまえば、同じ形で波が綺麗に割れるんです。僕はそれがすごく好きで。 また、他のビーチだと『ゲティングアウト』と言って、沖の波が割れている場所まで出て行くのが大変なんですが、リーフだと深いカレント(離岸流)があるんです。カレントに乗ればそのまますぐ沖に出やすいので、楽していい波に乗れるというのもあって(笑)。なので、部原が1番気に入ってますね。

朝6時、11月の部原海岸にて海に向かう田井さん。

 

サーフィンを始めたきっかけを教えてください。

  田井さん

中学時代の友人に誘われたのがきっかけでした。

僕は元々泳げないし目も悪く。その上、サーフィンって凄くナンパなイメージがあったので「え、サーフィンは無理じゃない…?」なんて思っていました。でも友人の想いが強くて、気づいたらサーフショップに連れて行かれて一式揃えることになってしまって…。なので、最初は嫌々始めたんですよ(笑)。

 

実際どこに行っていいかもわからなかったので、とりあえずボードを持って大網白里の白里海岸で、サーファーが誰もいない中ふたりだけで海に入ってみたのが最初です。友人とは同級生だったのもあり、お互いに「こいつには負けたくない」と思いつつ切磋琢磨して、分からない中でも誰にも教わらず、波待ちやドルフィンスルーという波を越える技術を半年間で覚えました。

 

そのとき働いていた職場の部長さんがサーフィンをやっていて、「サーフィンにはポイントがあるんだよ」と教えてもらいました。

ポイントを調べて、まず片貝海岸に行ってみたら、今まで乗ってきた波と形が違うんです。「え、こんな波始めて見た」と思って。今までの波は真っ白な『スープ』と呼ばれる、波が崩れた状態でまっすぐ来る場所だったんですが、片貝の波は横にずっと綺麗に割れていくんです。 半年間辛い思いをしながらサーフィンの練習をしていたのに、片貝でやったらいきなり立てちゃって、そのまま結構波に乗れたんですよ。それ以降、30年以上サーフィンをするようになって今に至ります。

 

− サーフィンをするにあたって気をつけていることはありますか?  

  田井さん

サーフィンって『ローカリズム』と言われる独特なルールがあるんです。なので、挨拶は必ず自分からしたり、ビーチクリーンに積極的に参加したりなどは気をつけていましたね。最初のうちは自分から「おはようございます」と挨拶をしても返してくれなかったりしたんですが、それでもめげずに毎回みんなに挨拶するうちに返してくれるようになって。だんだんと顔を覚えてもらえるようになっていきました。

 

− よく行くサーフショップはありますか?

  田井さん

千葉に来てまずお世話になったのは、御宿にある「VIGOUR」というサーフショップです。ウエットスーツやボードなどいろいろと揃えさせてもらってて。

勝浦では串浜にある"マリブ"という、波のうねりが大きくなった時だけ出現するクラシックなリーフポイントが大好きで、その串浜に「MALIBU POINT」というサーフショップがあります。自分が作っている塩も置かせていただいていたりと大変お世話になっています。

部原には「BraveSurf」というサーフショップがあります。勝浦でサーフィンするにあたり、部原でのサーフィンの歴史であったり、海でのルールなどを教えて頂けます。部原海岸でのビーチクリーンで集めたゴミは、最終的にBraveSurfさんが処理してくださっています。

また、部原の正面には「SUNSETTOWN surfside」というサーフショップもあります。そちらでは大会に参加させてもらっています。部原ではなるべく大会に出たいなという想いがあって。

 

 
捨てる人は減らないけど、拾う人は増やせる

 

− ビーチクリーンの活動について教えてください。 

  田井さん

普段海で遊ばせてもらっているので、恩返しではないですけど自分たちの環境を綺麗にしていきたいなという気持ちが根本にあって。部原海岸ではもう10年近く、毎月1回・第1日曜日にやっているビーチクリーンに通っています。

また、串浜にあるサーフショップのMALIBU POINTさんでも、毎月最終日曜日の朝にビーチクリーンを実施していて、僕も行けるときは伺っています。 あとは、勝浦塩製作研究所から近い入江のところがちょうど浜になっているので、そこに溜まっているゴミは僕がひとりで拾ったりしています。近くで海水を汲んでいるので、海の恵みや海の幸をいただくたく者として、「海は絶対に綺麗にしたい」「この綺麗な自然を後世に残したい」という気持ちがあるので、 ビーチクリーンはずっと続けていきたいなと思っています。

 

ゴミを捨てる人って結局減らないんですよ。だけど、拾う人さえ増えればだんだんとゴミもなくなっていくと思っているので、「捨てる人は減らないけど、拾う人は増やせる」というキーワードを掲げながらこの活動をずっと発信していきたいです。

田井さんが塩作りをしている拠点「勝浦塩製作研究所」から見渡せる鵜原の景色
次のページでは塩作りの事業を始めるまでの経緯についてお話しを伺いました。